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理学部長就任にあたって



「孤不徳」と「徳不孤」
細谷 暁夫
(ほそや あきお)

  この2月に雪の箱根で研究会があった。2日目の夕方に懇親会があり、その会場の座敷の鴨居に、永井道夫先生の書が架かっていた。言うまでもなく、永井先生は本学の教授であったのを、時の三木首相に懇請されて文部大臣を務められた方である。その書は、分かりやすくしかも端然とした「孤不徳」の3文字であった。
  お恥ずかしい話だが、私は書というものに全く無知で、思わず「孤は徳ならず」と左から読んでしまい「賛成できない」と傍らの人に言ってしまった。その人は小声で「右から読むのではないでしょうか?」とやんわりと指摘して下さった。はっとして、右から読むと「徳は孤ならず」と大変よい言葉になり、論語にあった「徳は孤ならず、必ず鄰(となり)あり」のはじめの3字であったと思い出した次第である。
  徳はとかく煙たがられて一見「孤立」することもある。しかし、どこかには必ず理解してくれる人がいて、忍耐と寛容を持って誠意を尽くせばやがて多くの人にも支持して貰える、と「徳不孤」は言っている。

  しかし、「横並び精神」「海外で群れる日本人」「談合体質」などの言葉を聞くと、最近の日本人には「孤不徳」を信奉しているものが多いのかも知れない、とも思う。日本の指導者たちが、外国の要人と交渉する様子が報道されるときに、この辺にわが方の欠陥を感じるのは私だけではあるまい。日本人の横並び精神をとかく安易に、その農耕民族起源に帰する文化人類学的議論(?)がある。田植えを横に一直線に並んで他人より前にも出ず遅れもせず行う風景が目に浮かんで、この議論には妙に説得力があるので変に納得してしまう。一方、西洋人は狩猟民族だったので、独立不羈の精神があるというのである。
  私に言わせれば、この種の議論は血液型と性格が関係あるという話と同じくらいいい加減なものである。第一に、日本人の大多数が田植えをしなくなってからもう百年近くなるが、独立不羈の精神はむしろ衰えているように思える。福沢諭吉が明治の始めに「学問のススメ」の中で説いたこの言葉は戦後50年でほぼ死語に近い。一方、大岡山商店街あるいは学内の技官などで年輩の方で風雪に耐えた顔をされている方と話してみると、職業に関係なく独立不羈の精神を持たれた方にお会いすることが多い。思い出してみると、私の学生時代の先生あるいは父や祖父と比較すると、どう考えても「孤不徳」は最近の日本の特徴と思われるのである。歴史的にどの辺でおかしくなったかについては、わたし自身の考えがまだ熟していないのでここには述べない。ここでは、「徳不孤」の復興に関連して最近決意したことを述べてこの小論の結論としたい。

  私は、今回、思いがけず理学部長に選ばれたが、そのために必要な修養を積んでおらず、私一人の知恵ではこれから予想される困難な状況をとうてい乗り越えていけそうにない。しかし、教育と研究に営々とした努力をされて、それに裏付けされた深い知恵と高い理想を持っておられる方を存じ上げているし、たぶん私がお会いしていない方にも多くいらっしゃるに違いない。そのような有徳の士を見いだし、その方のお考えをよくお聞きしながらそのお考えを生かしていこうと思う。そして、「徳は孤ならず」と心から思っていただけるようでありたいと思う。


©2002 東京工業大学
大学院理工学研究科・理学部
titech
©2002 Tokyo Institute of Technology
Faculty of Science